オッペンハイマーを楽しむために押さえておきたい知識
映画『オッペンハイマー』は、ピューリッツァー賞受賞作品「オッペンハイマー」を原作とし、20世紀を代表する物理学者であり、原子爆弾開発の父とも称されるロバート・オッペンハイマーの壮大な人生を描いた作品です。第81回ゴールデングローブ賞では作品賞(ドラマ部門)、監督賞を含む最多5部門受賞し、第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞を含む最多7部門受賞した2023年を代表する映画です。
1.映画のあらすじ
映画『オッペンハイマー』は、20世紀の科学と政治を舞台にした、ロバート・オッペンハイマーの人生と業績を描いた作品です。この映画は、オッペンハイマーが原子爆弾の開発を指揮したマンハッタン計画の期間を中心に、彼の若年期の革新的な科学的発見から、後年の政治的な追及まで、彼の複雑な人生を追います。
1945年の夏、ニューメキシコの砂漠で行われた世界初の核実験「トリニティ実験」の準備から始まります。オッペンハイマーと彼のチームは、未知の力を解き放つことの重大さと、それが人類にもたらす可能性のある恐怖と希望に直面しています。核実験の成功(という名の悲劇)は、第二次世界大戦の終結と冷戦時代の幕開けを告げるものでした。
過去と未来を交錯させながら進行します。若き日の彼は、ヨーロッパの物理学者たちとの出会いを通じて、科学の可能性に目覚め、やがて核物理学の分野での頭角を表します。しかし、彼の最大の成果である原子爆弾の開発は、彼自身と世界に深い道徳的葛藤をもたらしました。
戦後、オッペンハイマーは科学界の重鎮としての地位を確立しますが、同時に冷戦の政治的緊張の中で、彼の過去の共産主義への関わりが疑問視されます。政府の追及は、オッペンハイマーの名誉とキャリアに大きな影を落とし、核兵器に対する彼の複雑な遺産をさらに複雑なものにします。
『オッペンハイマー』は、天才とされる男の人生を通じて、科学の進歩と道徳的責任、個人の信念と政治的圧力の間の葛藤を描き出します。映画は、観客に対し、歴史の重大な転換点における個人の役割と、その選択が後世に及ぼす影響について、深く考えさせる作品です。
タイトル | オッペンハイマー |
公開年 | 2023年 |
国 | アメリカ |
上映時間 | 180分 |
ジャンル | ドラマ・伝記 |
2. 3つの時間軸
1930年代 -過去:若き日の夢と野心-
1927年オッペンハイマーはケンブリッジ大学で物理学を専攻。その後、ドイツに渡り理論物理学を学び才能を開花し博士号を取得。アメリカに帰国しカリフォルニア大学で教鞭を取るようになり、1936年に共産党員ジーン・タトロックと出会い、恋に落ちます。しかしジーン・タトロックとは長く続かなく、その後出会った既婚者のキティとの子供を授かり結婚。
この過去の時間軸では、オッペンハイマーの若き日の情熱と夢、そして科学への純粋な追求が描かれます。また、彼の人生とキャリアに影響を与えた初期の出会いや経験が、彼が後に直面する道徳的・政治的葛藤として提示されます。
1940年代 -マンハッタン計画:科学的成果と道徳的ジレンマ-
1941年、過去の共産主義者や左翼団体との関係と関係があったことで、FBIがオッペンハイマーの捜査を開始。この時期、アメリカでは共産主義への警戒心が高まっており、多くの知識人や科学者が監視の対象となっていました。
1942年、第二次世界大戦中、アメリカは原子爆弾開発の重要性を認識し、「マンハッタン計画」を立ち上げました。オッペンハイマーは、その卓越した物理学者としてそして、大規模な科学プロジェクトを率いる能力が評価され、この計画の科学的指導者に選ばれました。この計画は1945年の「トリニティ実験」まで続きます。
マンハッタン計画の時間軸を通じて、オッペンハイマーの科学者としての偉大な成功と、それに伴う人類への影響を掘り下げます。原子爆弾の開発とその使用は、科学的探求の果てに立ちはだかる道徳的な問いを突きつけ、科学と倫理の複雑な関係を浮かび上がらせます。
1950年代 -.モノクロ:政治的追及と個人的葛藤-
ソ連と軍事競争が加熱する中、オッペンハイマーは核兵器の国際的管理を訴え、水爆をはじめとする核開発に反対を示していました。
1954年、ソ連との冷戦時だったためアメリカが共産主義の脅威に対して極度に敏感でした。オッペンハイマーの過去の共産主義者との関係や先ほどの平和主義的な立場が、国家の安全保障に対する脅威と見なされ「ソ連のスパイ容疑」として安全保障審査会での公聴会が開かれました。
モノクロで描かれるこの時代は、オッペンハイマーの内面的な苦悩を際立たせ、孤独感や個人的な葛藤を強調します。政治的圧力のもとでの倫理的なジレンマや、科学者としてのアイデンティティーの危機が描かれています。
3.押さえておきたい登場人物
主要人物① 1930年代 -過去
J・ロバート・オッペンハイマー
アメリカの理論物理学者。原子爆弾開発の指導的科学者であり、マンハッタン計画の科学的責任者。複雑な内面を持ち、科学的探求と道徳的責任の間で苦悩。
キャサリン
オッペンハイマーの妻。生物学者で植物学者。非常に気性が強く知性のある女性で、それがオッペンハイマーに好影響をもたらすこともあったが、孤独感や子育てのストレスなどから酒に溺れるようになりました。
ジーン・タトロック
オッペンハイマーがカリフォルニアで教職をしていた頃の元婚約者。オッペンハイマーに政治的、文化的な影響を与えました。
アーネスト・ローレンス
アメリカの物理学者で、サイクロトロン(粒子加速器の一種)の発明者。カリフォルニア大学の物理学教授であり、オッペンハイマーの友人。
ニールス・ボーア
デンマーク出身の理論物理学者。オッペンハイマーとはケンブリッジ大学で出会う。ナチスの占領を逃れてアメリカに渡り、マンハッタン計画にも関わる。
1940年代 -マンハッタン計画
エドワード・テラー
ハンガリー出身の理論物理学者で、「水爆の父」として知られています。プロジェクトの初期段階からマンハッタン計画に参加し原子爆弾の開発に貢献しました。しかし、核融合に基づくより強力な爆弾、つまり水素爆弾の構想に特に関心を持っており、このアイデアをプロジェクト内で推進しようとしました。このため、原子爆弾の開発に集中すべきだと主張するプロジェクトの他のメンバーと意見が対立することもありました。
レズリー・グローヴス
アメリカ陸軍の将軍で、第二次世界大戦中のマンハッタン計画の軍事的指導者。オッペンハイマーをマンハッタン計画の科学的指導者として選出しました。
フランク・オッペンハイマー
ロバート・オッペンハイマーの弟。放射線研究のバックグラウンドを持つ素粒子物理学者。マンハッタン計画に参加し、トリニティ実験の機器の開発に取り組んだ。
1950年代 - 政治的追及と個人的葛藤
ルイス・ストローズ
アメリカの実業家、海軍提督、そして政治家であり、アメリカ原子力委員会(AEC)の委員長を務めた人物。オッペンハイマーの最も批判者の一人であり、水爆実験をめぐって2人の間で意見の不一致を引き起こしました。
アルベルト・アインシュタイン
理論物理学者として、相対性理論で知られ、20世紀の科学に革命をもたらしました。オッペンハイマーとはプリンストン高等研究所で同僚でした。2人は原子爆弾開発の科学者としての責任と倫理に関して深い洞察を共有していました。
4.押さえておきたいこと
重要な年号
1929年
世界的大恐慌が始まる。
オッペンハイマーが大学で教鞭をとり始める。
1939年
第二次世界大戦が始まる。ヒトラーのナチス率いるドイツによるポーランド侵攻により戦争が開始しました。アメリカ、ソビエト連邦、イギリス、中国、フランスなどを含む連合国と、ドイツ、イタリア、日本などの枢軸国との間で戦われました。
1942年
「マンハッタン計画」始動
オッペンハイマーはアメリカの原子爆弾開発プロジェクト、後にマンハッタン計画として知られるようになるプロジェクトの科学的指導者に任命されました。
1945年
- 7月16日、世界初の核実験「トリニティ実験」がニューメキシコで実施され、成功します。この出来事は核時代の始まりを象徴しています。
- 8月6,9日、広島と長崎に原子爆弾が投下され、第二次世界大戦が終結します。この年は、オッペンハイマーの人生と世界史における最も重要な転換点の一つです。
1954年
ロバート・オッペンハイマーはアメリカ合衆国の安全保障に関する聴聞会の対象となりました。これは彼の過去の政治的関与と共産主義者との関係によるもので、特にマンハッタン計画での彼の役割と原子爆弾開発後の政治的スタンスが問題視されました。聴聞会は、アメリカ原子力委員会(AEC)によって行われ、オッペンハイマーの政府の機密情報へのアクセス権の有無を審査するものでした。
キーワード
労働組合
1919年から社会党から分かれる形で成立したアメリカ共産党は1930年に、労働組合運動を組織し党勢を拡大していきました。入党することはありませんでしたが、弟のフランクや恋人のジーンなどと同じくオッペンハイマーは政治的に左寄りの立場を取り、労働組合や社会主義的な運動を行っていました。
共産主義
共産主義は、私有財産の廃止、生産手段(工場、土地、資本など)の共同所有、および全員のニーズに基づく物資の配分を目指す政治および経済のイデオロギーのことです。労働者階級が資本家階級を打倒し、階級のない社会を実現するべきだと主張しました。
マンハッタン計画
マンハッタン計画は、第二次世界大戦中にアメリカ合衆国が実施した、極秘の研究開発プロジェクトです。このプロジェクトの目的は、原子爆弾の開発という、当時の科学と工学の極限に挑む壮大な任務でした。マンハッタン計画は、1942年に正式に開始され、アメリカの科学者、エンジニア、および労働者数万人が参加しました。
トリニティ計画
1945年7月16日にアメリカ合衆国ニューメキシコ州のアラモゴード砂漠で行われた、世界初の核実験です。この試験はマンハッタン計画の一環として実施され、原子爆弾の実用性と効果を検証する目的がありました。トリニティ計画は、技術的な成功であると同時に、核兵器の破壊力とそれに伴う責任の重大さを世界に示した出来事として、歴史に刻まれています。
赤狩り
第二次世界大戦後、冷戦の開始と共に、アメリカ国内での共産主義への風当たりは高まりました。アメリカにおける言論の自由と政治的表現の自由に対する深刻な侵害であり、多くの無実の人々の人生とキャリアに永続的な影響を与えました。